雲井御所跡

雲井御所跡

昭和17年(1942)9月   鎌田共済博物館蔵

林田町中川、綾川の右岸に位置する。保元の乱で敗れ、讃岐に配流された崇徳上皇は7月23日に松山の津に到着したものの御所ができておらず、 国司庁の官人であった綾高遠(あやのたかとお)の館を仮の御所として、3年間過ごされた。 月日の重なるにつれて都を懐かしがられて
「ここもまた あらぬ雲井と なりにけり 空行く月の 影にまかせて」 とお詠みになった。この歌にちなんで雲井の御所と呼ぶようになったと
いわれている。